茨木市
文化財愛護会
令和7年度 第4回 ぶらり見学会(令和8年3月28日実施)
< 古刹金剛院と亀岡街道 (千里丘界隈) >
見学コース
JR千里丘駅集合→金剛院→念仏橋→須佐之男命神社→亀岡街道→市場橋→安楽寺→白井邸内道標→芝村藩高札場跡
→岩戸十一面観音菩薩→市場池公園→七尾瓦窯跡→吉志部瓦窯跡群→吉志部神社→吹田34号須恵器窯跡
→吉志部神社参道→参道入口の道標→一石五輪塔道標→旧中西家→JR岸辺駅
もうすっかり春の陽気。桜も咲き始めた3月末に亀岡街道周辺の史跡を歩きました。亀岡街道は、古代には山陽道と難波宮を結ぶ重要ルートである三島路ともかさなり、聖武天皇も通ったとされています。中井理事の案内で、古代から近世までの史跡を巡りました。参加者は会員、会員外含めて20人でした。

JR千里丘駅で集合。 昔の千里丘駅はすっかり様変わりして、広くて新しい駅に…。

再開発事業も進行中、駅直近で建設中のタワーマンションを見上げる一行。千里丘はどんな街になっていくのでしょうか?


好天に恵まれ、絶好のハイキング日和。 JR線沿いに南へ。 雪柳は花盛り、桜はちらほら咲き。 花見にはすこし早かったようです。
まずは古刹・金剛院へ

正式名称は蜂熊山蜂前寺金剛院。 天平10年(738)行基の開基と伝えられる真言宗高野山派の寺。本尊は行基作の薬師如来坐像。弘法大師の作と伝わる不動明王立像は大阪府重要美術品。いかにも「古刹」というたたずまい…。

本堂の鬼瓦は菊の紋


不動明王像は護摩堂に
鐘楼の瓦には織田家の紋
山号の由来、蜂を供養する「蜂塚」


行基は薬師如来を刻み本尊とし、放光山味舌寺と名付けました。
その後、応仁年間(1467-1468)、この地に悪事を働く盗賊が現れ、困り果てた村人が金剛院の本尊に追放を祈願したところ、本殿内に住む蜂が群れをなし盗賊を退治した事から寺名を蜂熊山(霊蜂山)蜂前寺金剛院と改めたと伝えます。その折、戦死した蜂を埋めて供養したのが「蜂塚」で、本堂の裏にありました。
立派な供養塔があり、そのまわりには宝篋印塔の部材が並べられている。 かつては何基もの供養塔が並んでいたのでしょうか…。

念仏橋


金剛院から西に向かうと、山田川に架かる念仏橋。かつて金剛院の境内は広く、西端がこの橋。念仏橋より東は金剛院の内陣とされ、人々はここで礼拝して金剛院に参拝したと伝えます。
須佐之男命神社

府道の北西に延びる参道。須佐之男命神社が見えてきます。

山田川を渡り、府道14号線(産業道路)に出て千里丘小学校前交差点を越えると、須佐之男命神社の参道。この神社は味舌村(坪井・味舌上・正音寺・庄屋の四か村)の氏神で 、金剛院の別当が神主を兼ねていました。ご祭神は須佐之男命(もとは牛頭天王)、天児屋根命、事代主命。

天平10年(738)創建と伝える須佐之男命神社。もとのお社は旧山田村長野にありましたが、江戸時代の初め頃、現在地に遷座。明治期の神社整理合併政策によって合祀された神々も境内に鎮座されています。

由緒、祭神を刻む石版


保管されている神輿
神仏習合の名残、延命地蔵尊
亀岡街道

須佐之男命神社の敷地に沿って北へ行くと亀岡街道に出ました。 亀岡街道は大阪の高麗橋を起点とし、北摂を南北に貫いて亀岡に至る幹線道路。茨木市域では、宇野辺で高槻街道、郡では茨木街道と分岐。中河原では西国街道と交差しています。亀岡街道は農産物や材木が大阪へ運ばれる流通の道であるとともに、山間部の神社に詣でる人々の信仰の道でもありました。
延長は約34㎞。高麗橋より亀岡に至る道

念仏道場の構造を残す真宗寺院安楽寺も訪問

山田川を渡り亀岡街道を進んで芝村藩高札場跡へ。 大和芝村藩は織田有楽斎の領地のうち1万石を四男長政が分与されて成立しましたが、そのうち味舌村の2千石余りは有楽斎の遺領をついだもの。
高札場跡を示すポールは「せっつ郷土史研究会」が設置


左 かちを寺・やまだ
右 いばらき・そうじ寺 と刻まれる
高札場跡の向かい白井邸内の道標も見学。もとは亀岡街道の三つ辻にあったようですが、電柱建設で放棄されていたところを邸内に保存されました。「蜂熊講中建之」とあり、金剛院の講の方々が西国札所巡礼のために建てたものでしょうか。総持寺や勝尾寺の名も記されています。ご厚意で、門を開き私たちを迎え入れていただきました。
岩戸十一面観音菩薩


市場池公園の南側、亀岡街道から南に下った道路沿い。小さなお堂なので見つけにくい…。いわれはよく分かりませんが、近所の篤志家が造立されたらしい。「この道、車で何度も通っているけど、全然、知らんかった〜」という声。 車で通過するのと歩くのでは見える世界が違ってきます。
市場池公園(市場池オアシス広場)

市場池公園の東側入口近くには祠とともに石仏が集められ祀られていました。五輪塔の一部だった石材も多数。池を作ったときに集められたのかもしれません。



広々とした公園は市場池の跡

市場池の歴史を記す碑
この公園は、もとは全体が市場大池と呼ばれた味舌上村の溜池の跡。吹田市域かと思いきや、摂津市域。公園の西半分には今も池が残されています。

春らしい休日、しかも春休み中とあって多くの家族づれで賑わっていました。
残された池、公園はイズミヤショッピングセンターの隣
市場池の道標

市場公園の南西角にある道標。「右亀岡街道、左小野原街道」とある。
明治末の地図に見る市場大池周辺

亀岡街道は公園の南側を通っているので、こ れを東へ行くと宇野辺、北西に行くと吹田山田を抜けて、西国街道の小野原へ出る。
七尾窯跡


古墳時代には須恵器、奈良時代には瓦を焼いていたとされる窯跡。千里丘陵の傾斜を利用して、幾筋もの登り窯がありました。
吉志部瓦窯跡群

吉志部神社のすぐ手前、窯跡は公園として整備され、作業用の建物の柱跡が保存されています。桓武天皇が平安京 を造営した時に、宮殿の瓦を生産した窯とされています。瓦以外に陶器なども生産されていました。
吉志部神社

吉志部五ヶ村(岸部・七尾・東・南・小路)の産土神。 社伝によれば、崇神天皇の時代に大和から遷座。その後、応仁の乱で焼失しましたが、文明元(1469)年に再建、さらに慶長15(1610)年には再造営されました。 本殿は七間社流造の桃山様式の装飾豊かな建物で、平成5年国の重要文化財に指定されました。しかし、残念なことに平成20年に全焼。平成23年に本殿と覆屋、拝殿が再建されました。

神社の由緒板

「吹田34号須恵器窯跡」は昭和56年に佐井寺からの移築。吹田市内にはかつて60基ほどの窯があったと考えられています。
本殿裏に移築された須恵器窯跡
吉志部神社参道

延々と続く参道は、その歴史の古さと氏神さんを大切にする人々の心を物語っているのかも…


参道の入口には「名所 鴨池 みや山つつじ」などと刻まれた歌碑?のような道標。側面には「郊外別荘地」などの言葉もあり、興味津々…。
一石五輪塔の道標

参道を出てしばらく歩くと道端に五輪塔の道標。亀岡街道から佐井観音参道へと分岐するところ。佐井寺(山田寺)観音への道しるべは下部が埋もれていますが、梵字 の下に「 さい」までが見えています。


摂州八十八ヶ所では佐井寺が四十四番、金剛院が四十五番の札所です。
旧中西家住宅

大名屋敷のように立派な長屋門。屋敷の広さは約1,000坪。江戸時代の大庄屋の権勢を偲ばせます。建物だけでなく絵画や煎茶にかかわる道具なども所蔵。現在「吹田市吉志部文人墨客迎賓館」となっています。参観には予約が必要とか。今回のぶらり見学会では、あらかじめ参加人数が分かっていないので予約できませんでした。

去年3月のぶらり見学会では「織田有楽斎の『味舌藩』」をテーマに味舌村の南部を散策。今回はその続編として亀岡街道を中心に味舌村の北部を巡りました。これからも「わがまち茨木」にとらわれず、広く周辺地域の歴史を学びたいと思います。旧中西家邸前で解散。少し歩き疲れましたが、天候にも助けられ有意義な見学会になりました。
お疲れさまでした!